2021-03-16 第204回国会 衆議院 予算委員会 第19号
東北新社は、二宮前社長が二月二十六日に辞めていますが、そのときに「お詫びと社長辞任について」というのを出しているんですけれども、特別調査委員会、これは東北新社に設けられた方のですが、から現時点での報告、これは中間報告と言われます、それに基づき、経営責任を痛感して社長を辞任しているんです。 この中間報告というのは世の中にないんです。これはお出しいただけませんか、この委員会に、中島社長。
東北新社は、二宮前社長が二月二十六日に辞めていますが、そのときに「お詫びと社長辞任について」というのを出しているんですけれども、特別調査委員会、これは東北新社に設けられた方のですが、から現時点での報告、これは中間報告と言われます、それに基づき、経営責任を痛感して社長を辞任しているんです。 この中間報告というのは世の中にないんです。これはお出しいただけませんか、この委員会に、中島社長。
神戸製鋼所、品質データの改ざん、社長辞任しました。東レの子会社、タイヤ品質データの改ざん、社長辞任しました。東芝、利益水増し、社長辞任しました。東洋ゴム、免震ゴムのデータ偽造、社長辞任しました。そして、今回、圧力ダンパーの、耐震の問題も起こって、これは今継続中でありますけれども、ほとんどの企業は、やはりトップが責任をとっているんですよ。 能力は優秀かもしれないですよ。
二〇一六年五月、三菱自工、燃費データ改ざんで社長辞任。同年二月、旭化成社長、くい打ち工事施工データ不正問題、当時の社長が、トップの私がけじめを付けるのが良い時期と判断したと辞任。東芝の不適切な会計問題について、もちろん社長も責任取って辞任しています。不祥事があれば、責任取るのはトップなんですよ。これ、世の中の常識なんですね。 行政において公文書の改ざんが行われた。
しかし、ちょうどG7の終了後において、また私が帰国の飛行機の中におります間に社長辞任といった事態に発展しておりましたために、対外的にこの問題を説明いたしました最初の場はサミットにおける蔵相レベル会合の冒頭でありました。また、それ以前に日英の蔵相会談の中で私の方から、求められたわけではありませんが、イギリスに対してこの問題についての説明をいたしました。
飛行機をおりまして成田の空港から本省に帰ります途中、一部証券会社における社長辞任といった事態にまで発展している状況を聞き、そのまま私は記者会見に入りました。そして、記者会見の席上でも、詳細はこれから事務方から聞くということを申し上げたと記憶いたしております。
それで今回の詐欺まがいの話であるこの「時代行列」騒ぎの責任をとらされて、川崎定徳社長をやめさせられるといううわさがありますが、竹下大臣は佐藤氏の社長辞任の問題についてお聞きになったことがありますか。
○永末委員 あなたは昭和四十五年五月、総会の開かれる前に、松尾さんとパレスホテルで会われたときに、社長辞任の決意を第一段階として固めたと御証言されました。松尾さんはあなたを責められたそうですが、どういう理由であなたを責められたんでしょう。
○参考人(大月高君) 共和グループの後任の社長につきましては、菅社長辞任後、会社の信用にもかかわりますので、関係の金融機関が集まりまして寄り寄りどうしたらよかろうかいま相談いたしておるわけでございますが、どの方面から社長を求めるかという点につきまして、こういう事態におきましてなかなか適任者を得られない。で、関係者の間では、われわれのほうから社長を出してはどうかという強い御要望がございます。
○説明員(大和田啓気君) 菅社長から社長辞任の申し出があったわけでございます。ただ、代表取締役としては菅社長一人でございますので、社長辞任申し出があったまま、かわりの者が選任されない時点におきましては、その職務をなお行なっておるようでございます。
正吉氏派はこの事態に対処して正吉氏の社長辞任と児玉寛一氏——これは正吉氏の親友でございます——の社長就任を決定したが、三十九年十一月十日の臨時株主総会では大藏氏以下四取締役の新任と正吉氏派の五取締役の解任が決議され、大蔵氏が取締役社長として復活することとなった。これに対し児玉寛一社長は株主総会無効確認の訴えを提起し身分保全の仮処分の申請をするとともに、大藏氏を罪状三件について告訴した。
そういうようないきさつで、最近になりまして刑のきまるまでは現状のままで差支えないじやないか、刑を予断するようなことを持株整理委員会がやるというのはいけないだろうということで、社長辞任というような問題につきまして、一應刑が定まるまでの間においては、現状の地位に置いたらいいだろう、同時に社長代理としてはつきり社長の権限を持つておる人間がいるのだから、それを中心に生産の維持をしていくようにという結末になりました
この取締役会に出席した役員は、常務取締役塩津英薫、取締役北村徳太郎、同澤山信吉、同辻清、同高田透、同法村吉平、同青木省二郎、常務監査役上村支繁、同水谷長太郎、相談役山縣勝見、嘱託北川政の諸氏で、塩津常務取締役が議長となり、第五十一号社長選任の件と題する議案を提出し可決されたのでありますが、当時の議事録によりますと、「占部五郎氏六月二十三日社長辞任において後任社長選考委員会を組織し、同委員会において責任者
ところが昭和二十二年の十二月であつたと思いますが、運輸大臣に就任なさいました関係上、代表取締役社長辞任の辞表が出たのであります。これはやむを得ないことと存じまして、会社は早速辞表を受理いたしまして、役員会で決議の上登記をしたのであります。当時独占禁止法による区役所の登記事項が相当輻湊しておりました関係上、一時受付停止になつておりましたので、事実は二月ごろに登記完了せられたものと存じます。